
開店が1971年5月30日ですから今年が44歳の誕生日、ちょっとだけお祝いさせてください。
5月29日(金)、夜7時くらいからもっきりやで会費¥1000、持ち込み歓迎、地味にやりましょう。(来年の45周年はちょっと派手めにしますので)
ライブに歓談、お酒、まだまだ元気です。
昔のライブの写真など探してみました。20周年の時の記念写真もなかなか感慨があります。遠い所からの参加も歓迎です。
「40周年の時のご挨拶」
もっきりやができた1971年はタイガースが解散した年です。北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」やジョン・レノンの「イマジン」がヒットした年です。
なんだかずっと昔のようで、ついこのあいだのようで。
僕は21歳でまだ大学生でした。あれはたしか年が明けてすぐの頃、金沢で喫茶店を作ろう、という話が急に現実になりました。たくさんの人(のべにしたら5、60人)が東京から来てくれ、一ヶ月で完全なハンドメイドの店ができあがりました。
そして40年、何かちゃんとしたことするでなく、こんな今になってしまいました。
最初の5年間は今思い出しても恥ずかしいかぎり、ご迷惑をかけた方には今更ですがお詫びします。
1976年の秋、今の場所にもっきりや PART-2 としてピアノが入って再オープン、記念すべき最初のライブがレイ・ブライアントのソロピアノでした。(レイはこのあと3度もっきりやを訪れています。)ライブのやりかたなど何も知らない自分たちに最初からのビッグネーム、でもこの楽しさの為には何やってもいいやと思うほど目の前で奏されるジャズは、もとい、音楽は素敵でした。
ピアノのうしろに席があった頃、レイの指先を覗き込むことができました。
そしてトム・ウエイツ、1977年1月20日、ヤマハ金沢センター、主催トム・ウエイツの会(金沢の音楽好きが集ったこのコンサートをやる為のグループでした)、その前日、「前夜祭@もっきりや」!
ビール瓶片手にまるでディーン・マーティンみたいに「酔っぱらってるのはピアノだ、俺じゃない」と歌っていたトムの姿は忘れられません。フランク・ザッパのマネジャーやってた人だったかが一緒で、カメラやテープには渋い顔、でもさすがにレヴォックスのオープンリールは止められてしまいました。
夜中、寒い凍った香林坊の車道を20人くらいでフランスデモ(手をつないで道いっぱいに広がるフランススタイル(?)のデモです)して大騒ぎしたのもいい思い出です。
1年後、今度はニューヨークのシンガーソングライター、エリオット・マーフィーやジェフ&エイモス、主催は僕も入った5人で作ったSONGBIRD企画、(ジェシ・コリン.ヤングの金沢公演やろうと作ったんですが名前は勿論ジェシ・コリの "Listen to the Songbird...." から。)
昨年9月、33年ぶりに二人揃って現れたジェフ・マルダーとエイモス・ギャレット、二人とも金沢が大好き、33年前の殆ど "It's Magic !" としか表せない素晴らしい瞬間、昨年、彼らはこの写真を見て "Those were the days" なんて懐かしがっていました。)
あとは皆さんの知っている通り、あっというまの2011年です。
数えきれないほどのライブ、イベント、いろいろありましたが、それはまだ現在進行形、これからもお付き合いください。
派手な宴会やったのは25周年の時、1996年の5月でした。お知らせのフライヤーの絵は今のもっきりやのHPの表紙、あの頃歌を歌っていた北中良枝が書いてくれました。記念の写真が残ってました。よく見て下さい、今金沢で活躍してる人達がいっぱい、 "When We Were Young" というフィル・ウッズの美しい曲がありますが、もう戻れない時間へのオマージュ(カッコ良すぎますか?)です。
posted by mokkiriya at 00:00|
2015年5月
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